コスパという評価基準は自分に跳ね返ってくる?

とにかくコスパという言葉を目にします。
それが最高の評価基準と言わんばかりに、そこまでいかなくても「良いと思いました」くらいの気分でコスパ良し!などと書いてしまうわけですよね。
そのコスパと対極にあるのが「ブランド」です。手順を踏んでしっかりしたブランディングができれば、購入する人は「このブランドであれば間違いなく自分が期待していた品質のものが提供される」ということを信じて商品やサービスを購入するわけです。
人の労働力や価値というものも同じようなもので、ある程度の「肩書き」なり「実績」があればそれは労働力のブランドとして意味を持つわけです。
それがない場合、あるいは少し自信がない場合、人はコスパで判断されます。つまり人件費に見合った成果を出しているか、あるいは管理職並みのリーダーシップを発揮しているか評価されるわけです。
だからといって飲み会に参加することを薦めるわけではありません。
もしかすると、昔、親が酒を飲みすぎて酔っぱらっているのを見て嫌悪感を感じたのかもしれません。身体に良いことではないので飲まない方が良いかなとも思います。
大事なのは自分がコスパで判断されることを微妙にずらすスタンスです。それはとても話が上手いということでも良いですし、普段は目立たなくても本番のプレゼンやアドリブが効くというようなことでもかまいません。コスパという物差しから逃走して自分らしさを発揮する手法、場面をいかに作るかということ目を向けて欲しいと思います。

「飲酒はコスパが悪い」? 若い世代に急増する、あえて飲まない「ソバーキュリアス」(新潮社 Foresight 執筆者:久我尚子)
なぜ若い世代ほどアルコール離れが進行しているのだろうか。その解としては、リスク回避志向の高まりや娯楽の多様化といった影響があげられる。筆者は日頃、世代による消費行動や価値観の違いを分析している1のだが、景気低迷の中で生まれ育った世代はリスク回避志向が強く、慎重な消費態度を示す傾向がある。また、物心ついた頃からインターネットが普及していたデジタルネイティブ世代は、大量の情報を取捨選択しながら価値観を形成してきたために、比較検討志向が強く、コストパフォーマンスを重視する傾向も強い。
ネットやスマートフォン、ゲームなどが普及し、娯楽が多様化する中で、若者にとって飲酒はコストパフォーマンスの悪い娯楽と捉えられるようになったのかもしれない。酔って楽しい気分になるというメリットに対して、健康への悪影響や費やされる時間、費用などのコスト、酔うことによる失敗行動のリスクなどのデメリットが上回ると判断されているのではないだろうか。さらに、現在はSNSなどを介して、いつでも友人とつながることができるため、実際に会って飲んだりしなくても、コミュニケーションがある程度できてしまうことも影響しているだろう。


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