オチがつかない怪異譚の怖さ 『百鬼園百物語』

UnsplashDavid Dibertが撮影した写真

最近、長い小説や評論は読めない。集中力が持続しないのだ。おそらくずっと鬱の状態が続いているのだと思う。しかし何かしら活字は読みたい性質でもあるので、枕元に『百鬼園百物語』を置き、一晩に二、三篇、本当に一篇読み終えては蝋燭の火を吹き消すというようなペースで読み続けてきたのだが、先週ようやく読了した。
比較するのは難しいがラブクラフトなどの怪異譚は化け物なり幽霊なり怪物の姿をはっきりと見て恐怖に叫ぶというパターンが殆どだが、内田百閒の怪異は「何か嫌なことがおこりそうな気配」、あるいは現実のように思えるのだが、女の顔が妙に大きかったり狐の顔に見えたりというような「曖昧な不自然さ」に起因する怖さが持続したまま終わるのである。そして解決しないまま、外で犬がべうべうと吠えていたり、いたちの群れが庭を移動したりという具合で唐突に終わる。そういう解決しないままの息詰まるような恐怖が百閒ならではの独自な世界だ。
読了はしたもののきっと何回読んでも怖いだろうから枕元にそのまま置いてある。

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