肥後守を研ぎながら刃物の使い方を考えた。

今日、文具入れのボックスから肥後守を取り出し刃をみると白い筋が見えていたので砥石で研いだ。あまり良い砥石ではなかったがそれでも刃を研ぐうちにきらきらした鋼の光が戻り、何回か返してもう一度刃を正面から見るとどこを見たらわからないくらいに鋭い刃になっている。
試しに鉛筆を削ってみると面白いくらいに綺麗に削れる。
ナイフは人を殺傷するためだけの武器ではないし、特に自然を相手にする時には重要な道具となる。道具を使っていて誤って指に怪我をすることもあるがそれはそれで小さな刃物が生き物にどれだけのダメージを与えるかを類推するヒントにもなる。
別に指導要領に「刃物の使い方の時間」を作れとはいわないが、簡単に死刑になりたいという理由で見知らぬ他人を傷つけてしまう人たちに今までどのように刃物を使ってきたかを聞いてみたい。自分を守るため?他人を攻撃するため?それともただそこに有ったから?
甘えないで欲しい。君にとっての特別な孤独感や絶望感はごく普通のもので、君には人を傷つける権利もナイフを持つ資格もない。必要なのは可愛い自分の中にこもって他人からの罰を期待するのではなく、他人の不幸に思いをはせる想像力をはたらかせて欲しい。それができ無いというのならまず世の中の本を片端から千冊読んでみることだ。それでだめならはいそれまでよ、と希望通り足元の床は開くかもしれない。

関連記事

コメント

この記事へのトラックバックはありません。

TOP